温泉流木 温泉流木ロゴ

サイトマップ

ここは九州の大自然、世界にひとつしかない流木と阿蘇北部にある秘湯との出会い

悲恋の伝説

小国に伝わる悲恋の物語です。
辛いお話ですが、今では幸運をもたらしてくれます。

平安時代

結ばれぬ恋

これは平安時代のお話です。 醍醐天皇の孫娘である小松女院と、帝の側近で清少納言の兄という清原正高は恋に落ちました。
正高は美男であり、笛の妙手であったといいます。
しかしこの恋は身分の差により、許されない恋でした。
2人の恋仲は噂となり、ついに帝の耳に入ります。その結果、正高は豊後の国(大分県)へ、 小松女院は因幡の国(鳥取県)へ流されてしまったのだそうです。

恋人を探す旅へ

正高を慕う小松女院は、西国に正高の噂を聞き、乳母真神と侍女らを供に正高を探す旅に出ます。
豊後の国を訪れたものの、正高の行方はしれません。 流浪の末、女院ら一行は小国町へたどり着きました。それが天延三年(975年)のことです。
平安時代に海を越えて九州にわたり、旅をすることがどれくらいの苦難であるか、計り知ることができません。
しかも行方がわからぬ人をうわさを頼りに探すなど、気が遠くなるような不安があったことでしょう。

鏡ヶ池

(鏡ヶ池)

小国にて

小国に入った小松女院は、宿の近くに清水のわく泉を見つけました。そこに女性の命である手鏡を沈め、 正高との再会を祈りました。女院の心を思い11人の侍女たちも、鏡を投じ祈りました。
この泉こそ「鏡ヶ池」と呼ばれ、現在でも恋人との再会を願う多くの人が訪れています。

その後小国を離れ玖珠へと向かいましたが、小国をまだ出ぬ下城まで来たときに、 乳母真神が長旅の疲れもあり病に伏せられ亡くなられてしまいました。
母と慕う乳母を失った女院は、悲しみの中、この地に乳母を葬られました。
そのときに女院の自らの手で銀杏を植えて墓標とされたとも、 女院の一行が下城を去りし後、この地に住む人々がに銀杏の木を植えたとも、 語り継がれています。
そしてその銀杏こそ、今は樹齢1000年を超える「下城の大イチョウ」です。

下城の大イチョウ

(下城の大イチョウ)

イチョウの木は後に「チコブサン」と呼ばれ、乳の出の悪い婦人がこの木に祈り、 幹から下がった乳瘤(ちちこぶ)を削り煎じて呑むと乳が出るとの言い伝えもあります。

悲しい最期

小国を後にした小松女院は、大分県玖珠の小田村の三日月滝にやってきたとき、一人の木こりに出会いました。
木こりに正高の消息を尋ねると、土地の豪族の娘と結婚し子どももあることを聞かされます。
女院は生きる望みを失い、次女11人とともに三ヶ月の滝に身を投げられたのだそうです。
それを知った正高は驚き嘆き、女院達の亡骸を手厚く葬り、神社を建立して菩提を慰めています。 それが、現在の滝神社ということです。

鏡ヶ池と大イチョウ

小国には、小松女院がひたすらに祈った鏡ヶ池、そして悲しい別れの地にある大イチョウが残っています。
どちらも後には幸運をもたらす場としても語り継がれており、多くの人が訪れます。

下城の大イチョウは、伝説以外にも国指定(文部省指定)の天然記念物として、またパワースポットとしても有名です。
このあとは小国郷にある美しい自然のパワースポットをご案内していきます。
次の「小国郷の滝めぐり」では、たくさんの滝をご案内いたします。お楽しみに。

→「小国郷の滝めぐり」のページへ

ページのトップへ戻る